SNS終わりの始まり…。それは何なのか。ソーシャルとは何なのか。

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SNS終わりの始まり…。それは何なのか。ソーシャルとは何なのか。
  • SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)・・・。
  • 個人情報保護法・・・。

個人情報保護法ができたはずなのに、SNSというソーシャル・ネットワーキング・サービスと横文字を連ねたことにより比較的抵抗感なく登録し自ら情報提供してし始めていることにお気づきな方もいるかもしれません。そして、その閉ざされた空間。全く社会性などがないのではないかと考える人。何年も前からSNSによる誹謗中傷や批判が問題化されてきました。最近では、新型コロナ禍においてテラスハウスに関することが記憶に新しいです。

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日本でも「テラスハウス」に出演していたプロレスラー木村花さんがSNSの炎上で自殺したという事件もあったが、人が自殺するまで効率的に呪詛を投げつけることができるのがSNSである。 SNSの行く末は荒廃だったのだ。
SNSはもう終わる。Meta株マイナス26%超えの大暴落で露呈したFacebookと「つながり強制」社会の末期症状=鈴木傾城 | マネーボイス

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特に女性や若者はつながりを求めやすいのかもしれません。(性差別でも年齢差別でもなく特徴として)そして、SNSをやっていないと時代遅れなどと感じさせる世論もどうなのかと。。。

 

多様性、ダイバーシティなどときれい事は言っているけれど、マイノリティ(少数派)は全く多様化の光を浴びていない。SNS内での同調圧力。そして、その閉ざされた空間内での全く社会性などなくなってしまっていることにお気づきでしょうか。

共通認識や共通の趣味、共通出身地などのみで結局のところつながっている。社会性のない空間、そんな閉塞性に耐えられない人もいる。意味のない拡散。ただの仲間意識。全く公平でない、全く広まっていない。

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つい先日時価総額過去最高を記録したFacebookでさえ、この混沌とした世界情勢に各々個人がどこか閉塞感や閉塞性を感じ正しい情報が何なのかわからなくなってしまう錯乱状態でも、意地でもSNSにしがみつこうとしていることがストレスになっていたり。

アラブの春と言われた民主化運動の頃は、Facebookによるつながりでそれなりの役割があったのかもしれません。まだ日本では今ほど普及はしていませんでした。その後は、逆にアラブの冬と言われる現象が起こっています。

世界中で異なる文化や価値観の多様性を知ることや経験することはとても大切なことなのかもしれませんが、その多様性をいかに受け入れていくのかが重要であって、誹謗中傷などで人の人命までをも脅かすものになってしまっています。

これでは本末転倒です。

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そろそろ、かっこよく感じてしまうSNSと言われるソーシャル・ネットワーキング・サービスは考え直すもしくは終わりの始まりなのかもしれません。

日本においては、招待制のミクシィ(mixi)が初めの閉ざされた空間世界のSNSが始まりだったはず。

その後は、勝手に登録さえすれば誰でも利用は可能に。

SNSもあげればきりがないですが、そこに触れなければ知り得ない情報や知らなければならない情報が知り得なかったり、知る必要のない情報や誤った情報えお知ってしまったり、デマ情報だったり。方向性が見いだせなくなってきてしまっている。

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そんな殺伐とした閉塞性に普通の人間は耐えられるのでしょうか。

ある程度は、プラットフォームとして残るでしょうがそれは真実なのか考え直す時なのかもしれません。

Facebook(現Meta)が2022年2月4日、マイナス26%超えの超巨大暴落に巻き込まれている。メタメタだ。額にして1日で27兆円喪失。まさに歴史的な下げでもあった。これは、ただの株価暴落という一時的な現象であるとは見ないで「SNSの終わりの始まり」であると捉えられるかどうかが重要だ。

ニューノーマルなどというまた横文字で曖昧表現に惑わされることなく、いち早いノーマルな状態を誰もが望んでいるように思います。その上で多様性やダイバーシティを実現することこそが本質だと感じます。

プロパガンダのみでなくジャーナリズムやアカデミズム、プロパガンダが誤らないよう。

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