これは、
私の姪っ子が読んだ弔事です。
訂正です)甥っ子です。
ちょっと感動したので名前を伏せて掲載させて頂きます。
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以下、その感動した・感動する弔事の内容(例文)です。
おばぁちゃんへ
おばぁちゃんへありがとうをいくつか伝えるね。
まずは、
僕がトマトを食べられるようになったのは、
おばぁちゃんがトマトは身体にいいし美味しくておばぁちゃんは好きだよぉ。
と言いながら美味しそうに、
ひとつのトマトを丸かじりしてる姿を僕の前で見せてくれたからだよ。
幼心に、
衝撃を受けたのを覚えています。
大好きなおばぁちゃんがそういうなら間違いないと、
真似して食べてみたら美味しく感じて食べられるようになったよ。
今では、
トマト食べられなーい。
とか、
トマトきらーい。
なんて言う人の気が知れなくなっちゃいました。
そんな幼心の僕も時が過ぎ高校で○○○を離れて○○に行きました。
部活をやっていたからあまり帰省はできなかったけれど、
いつも、おばぁちゃんのところに顔を出すと、よくきたねぇ。
また来なよぉ。
なんて言ってくれてたね。
今思えば、
そんな帰る場所があるという有り難さを与えてくれてたんだなぁ。
と、
こんな僕も成長して、
おばぁちゃんの存在の大きさを実感してるよ。
そして、
いつも満面の笑みで迎えてくれたね。
ありがとう。
おばあちゃん。
学生時代も終わり社会人に…。
一時期、
自分の不甲斐なさで実家にすらろくに帰省できない、
いや、
帰省しない時期がありました。
1・2年くらいだったかなぁ。
そんな後に久しぶりに顔を出しても、
ずーっと変わらずに、
よくきたねぇ。
なんて平穏に言葉を僕にかけてくれて、
しばらく顔を出せなかった僕のこころをとっても和ませてくれたよ。
こんな不出来な孫を、
いつも変わらない愛情をもって変わらない言葉を本当にありがとう。
まるで、
大きな船、母船のような存在でもあったね。
諸行無常の…。
なんて言葉があるけれど、
おばあちゃんと僕には、
そんな言葉、
そんな響きなんて、
あてはまらないね。
これも、
おばあちゃんの名前の通り、
おばあちゃんは清く美しいこころの持ち主だったからだと感謝しても感謝しきれないよ。
ありがとうね。
おばあちゃん。
そして、
おじいちゃんが亡くなって、
寂しさもあったと思うけれど、1年くらいで随分ちっちゃくなったように見えました。
それはそうだよね。
愛するおじいちゃんがいなくなっちゃったんだもんね。
そんなでも、
会いに行くと相変わらずの満面の笑みで毎回迎えてくれたね。
それに晩年は、
おばあちゃん自身も脊中管狭窄とかで大変なのに、
いっつも満面の笑み。
僕は、
その満面の笑みに和ませてもらってたよ。
そして、
帰る時には涙が出始めちゃったね。
また、来てね。
なんて寂しそうに言うおばあちゃんに後ろ髪をひかれながらかえるようになって…。
いつも、また来るよ。
と…。
そう言い合ったのも5ヶ月前の夏が最後になっちゃったね。
おばあちゃん…。
身体を動かせないって想像以上に自分を不甲斐なく思っちゃうよね。
僕も時折そんなだから、
そんな時はおばあちゃんも同じ思いなんだろうなぁ。
なんて考えたりしてたよ。
経験してみないとわからないもんだよね。
いつでも、
おばあちゃんの満面の笑みは、
忘れることはできません。
だけど、
今、この場では、
おばあちゃんに最後の別れをしなければなりません。
清く美しいこころの持ち主の
おばあちゃん、
お疲れさまでした。
○○○ちゃんは、
○ちゃんを始め○○、○ーちゃん、○ーくん、○○○、そして、
僕○○がずっと一緒にいるから
安心してゆっくりと安らかに休んでね。
物質世界のこの世で、
僕はまだ生きなければなりません。
おばあちゃんは物質からは解き放たれ御霊となり、
おじいちゃんとまた仲良くやって天からそっと僕たちを見ていてね。
最後に、
○○○ちゃん、○ちゃん、
お疲れさまでした。
また、おばあちゃんという空気に会いに来るからね…。
合掌。
[…] […]